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兼務社ご紹介

兼務社ご紹介

佐方 八幡神社(はちまんじんじゃ)

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佐方の氏神様

住所

廿日市市佐方字城内1028

御祭神

応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)

御神徳

国土・万物生成の神様、縁結び、子授け、安産、商売繁盛、家内安全、厄除、長寿、開運の神様

例祭日

10月第2土曜日

御由緒

創建は古く推古天皇の時代(西暦500年代)と伝えられている。承久年間(1220年)
桜尾城主で厳島神社の神主であった藤原親実が当八幡神社の祭主を務めその子孫が代々祭主を務めた。毛利氏の時代(1500年代)には神田の寄進があった。江戸時代の初めまで、廿日市東町の人も氏子であった。その後、廿日市天満宮が廿日市の氏神として祀られ、八幡神社は佐方の氏子により維持されてきた。神社に現存する絵馬額の中では宝暦4年(1754年)のものや、石灯籠、手水鉢は明和5年(1767年)のものがあり、また廿日市町住民の寄進した随神(左大臣、右大臣像)もある。石灯籠を寄進した堀田仁助は津和野藩士で廿日市で生まれた数学者、地理学者、天文学者であり、伊能忠敬は彼の弟子である。現在の本殿は天保11年(1840年)拝殿は慶応2年(1866年)に再建された。境内社の大歳神社は平成10年11月に再建された。


新宮神社(しんぐうじんじゃ)

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下平良の氏神様

住所

廿日市市新宮1丁目5-11

御祭神

主祭神(しゅさいじん)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、
伊邪那美命(いざなみのみこと):国家安泰子孫繁栄、五穀豊穣の神様

相殿神

少毘古那命(すくなひこなのみこと) :国土経営・医薬・酒造の神様
大穴牟遅命(おおなむちのみこと) :大国主神で国土経営開拓の神様
事代主命(ことしろぬしのみこと):商売繁盛、厄除開運、縁結びの神様

例祭日

10月第2土曜日

御由緒

文安3年(1446年)9月29日、下平良村藤掛尾城主加賀守上野之助が領内鎮守の為に創祀したという。後、陶晴賢に攻められて落城し、永禄元年(1558年)9月29日熊野新宮を合祀して、下平良村の氏神とした。江戸時代の初めまで、廿日市の西町(胡通りより西)は新宮神社の氏子であった。慶安5年(1652年)天満宮が廿日市の氏神様となり、寛文4年(1664年)それまで西町の氏神であった新宮の神様も天満宮に勧請した。以後、天満宮の神輿は新宮神社をお旅所として秋の祭礼が行われるようになった。このことは安政年間(1850年)に書かれた「芸藩通誌」にも記されている。


宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)

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宮内上組の氏神様

住所

廿日市市宮内字砂原1701

主祭神

素戔鳴尊(すさのおのみこと)、神武天皇(じんむてんのう)
国土安全、国家安泰、五穀豊穣、交通安全、農神、疫神送りの神様、縁結び、商売繁盛、学業成就の神様

相殿神

大山津見命(おおやまつみのみこと)、天受女命(あめのうずめのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、猿田毘古命(さるたひこのみこと)、宇迦逎魂命(うかのみたまのみこと):家内安全、厄除開運、延命長寿、子孫繁栄、芸事上達の神様

例祭日

10月第2土曜日

御由緒

神武天皇御東征の折、当地に立ち寄られたため、天王社(天王宮)と古くより村人に呼ばれている。もとは広田社山の麓にあったが、天正中(1573〜92)に海潮によりそこなわれ、現在地に遷座した。当社は古来、厳島神社兼帯の一社であって、厳島の祠官が来て祭を行い、社殿や鳥居を造る木材も厳島から給されていた。明治以降、宮内村上組の氏神社として、村社となり、上組内の神社を合祀して八坂神社と称したが、昭和44年に氏子の要望により、宮内天王社と再度改称する。


明石 大歳神社(おおとしじんじゃ)

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宮内明石の氏神様

住所

廿日市市宮内字明石2938

御祭神

大歳神

例祭日

10月第4日曜日

御由緒

当社の創祀は不詳であるが、御神像とともに祀られている薬師如来像に応仁2年(1468)の銘があるので、それ以前の創建であろう。


住吉神社

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住所

廿日市市廿日市495

御祭神

墨江之三前大神(すみえのみまえのおおかみ)、底筒男命(そこつつおのみこと)、中筒男之命(なかつつおのみこと)、表(うわ)筒男命

例祭日

7月最終土曜日

御由緒

廿日市は古くから、材木や米・紙等の物資の集積地・海上交通の拠点として、港は各地から廻船で賑わいました。住吉神社は、長い歴史の間、廿日市の港に出入りする船舶の航海や漁業等の「海の守護神」として、地域の人達に厚く信仰され親しまれてきました。住吉神社は、江戸時代には潮音寺の境内にありました。その後、高洲新開に続き、住吉新開が埋立てられた弘化4年(1847)の後に、ほぼ現在の場所へ移されました。昭和58年、廿日市木材港の臨港道路の工事に伴い現在の場所に移転され、平成18年に本殿が改築されました。


福佐売神社(ふくさめじんじゃ)

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住所

廿日市市可愛2-20

御祭神

福佐売神

例祭日

10月第2土曜日

御由緒

以前は福島神社と称し、祭神名の所伝を失っていたが、文化13年(1816)に白杏公子(浅野長懋(ながとし)が榎本連(えのもとのむらじ)福佐売を祀る古社であることを明らかにした。福佐売は「三代実録」貞観14年(872)12月26日条に「節婦安芸国佐伯郡人榎本連福佐売、叙位二階、免戸内祖、表於門麿」と記された実在の人である。地域に多大な奉仕活動をした功績に対して国から表彰された。伝説によれば、近くの山中の池に棲む大蛇が毎年、大あばれして平良の住民を苦しめるので、榎本連福佐売がその大蛇を退治した言い伝えがある。その時斬られた大蛇の首が、地御前まで飛んだ。大蛇の頭は八つあった、人々は、祟りを恐れて、神社を建てて蛇を葬った。これが八面神社とよばれ、今も地御前にある。
社の後ろには古墳があり、福佐売の墓と考えられる。なお、神社の近傍に可愛川が流れているが、可愛の古訓は榎と同じであり、また、福佐売が転訛して福島となったとする。
「芸藩通誌」巻百四十八に賴惟柔(杏平)が撰した「福島社記」を載せる。